「誰かに死ぬほど愛されたい。」










大きいではあるがそれほど派手ではない情緒ある武家屋敷の縁側で、俺の三十センチほどであろうか、離れた場所に彼女はきちんと足を揃えて座っている。三十センチ、俺達には妥当な距離だ。夕方にたまたま町で会ってなんとなく世間話をしていたらその中で、屋根の雨漏りが気になると言っていた彼女の表情を見て、まだ夕方ですから、と何も言い訳にならない様なことをぐだぐだ説いて彼女の家の屋根を修理をしに立ち寄った。朱色の夕日の中雨漏りを直して、出された麦茶を飲んでいたらあっという間に薄暗くなってしまった。薄暗い縁側でまた他愛のない話をしていると、彼女は「誰かに死ぬほど愛されたい。」遠くを見るような目でそうぽつりと零した。それは彼女が今まで長い間、望み、夢みて蓄積されていたことが思わず口から漏れたのかもしれないし、ただの突発的な欲求なだけかもしれない。しかしなんにせよそれを言った彼女の気持ちには恐らく、紛れも無い誠実が存在しているだろう。


「変なことを言ってごめんなさいね、年甲斐も無く、ねえ。」

「いえ、」


彼女は笑っていた。きっと心は違うであろうというのに。儚げな顔をして笑って、冗談めかしたって全然意味がない。貴方のそれ、全然冗談に聞こえませんよ。そう言えば彼女はどんな顔をするだろうか、この美しいく儚い女性は。そんな彼女の顔を一瞬でも想像する俺はただの変態なのかもしれない。厭らしい気持ちなど毛ほどないのだが、ならばこんな考えが頭を巡るのはな何故であろうか。俺は彼女の困った顔なんてちっとも好きではないというのに、それを想像してしまうのは何故だろうか。純粋な気持ちなのか、不純な気持ちなのか。自分のことだというのにまるで揺れてわからない。気持ちの悪い事だ。ただひとつわかっていること、いや、事実と言ったほうが的確であろうことは、俺の隣の女性の背筋は美しく伸びて、ただただ、星と月に照らされた姿が美しいということだ。



「星が、綺麗ですね。」

「ええ、明日もいい天気でしょうね。」

「そうでしょうね。」



彼女は首だけを動かして控えめに空の方を見た。俺もその横で空の方角を見上げた。空なんていつもなら見る暇も無いし、どちらかというと俯いていることの方が多いし、その方が落ち着くんだが彼女の見たものが俺も見たかったのだ。きらきらという擬音はよくいったものだ。その通り、ちかちかきらきらと大きめの星、小さめの星が黒い色の空を染めている。貴方の方が、美しい。そう思った。


「もう少ししたら、秋物に衣替えをしなくてはいけなくなりますねえ。」

「ああ、そうですね。うちはみんな年中隊服なので、衣替えなんてしばらくしてないですから、すっかり忘れていましたよ。」

「あ、そういえば。私、十四郎さんの隊服姿以外見たことがないですね。」

「そうかもしれませんね、中々隊服を脱ぐ事ありませんから。」

「暑い日なんて大変でしょう。」

「そうですね。でも最近は涼しくなってきましたから。」

「もう、秋ですものね。」

「・・衣替え、いつ頃なさるんですか?」

「え、・・・そうですね、もう少ししたら、うん、今週末あたりにでもします。」

「大変でしょう。女性は着るものが多いですから。」

「ふふ、そうですね。男の人よりかは少しだけ、大変かもしれませんね。でも、もう慣れたものですよ。一日あれば、終わりますから。主人がいた頃は三時間あれば終わったんですけどね。」




彼女は笑ってそう言った。一日もかかるんじゃないか。このひとの細く白い腕を見てとても悲しいんだかなんだかよくわからない物事を確信できないような何かが胸で生まれて、思わず眉間に皺が寄ってしまった。なんだろうか、この気持ちは。



「・・・衣替え、」

「え、?」

「衣替え、一緒にしましょう。」

「え、」

「衣替え、俺が手伝います。」

「そんな、大丈夫ですよ。」


笑いながらも困った顔をして、それから手を振って彼女は遠慮した。いや、遠慮ではないか、


「もう八年もひとりですもの、私中々力持ちなんですよ。」


そう言って笑って腕を出す彼女がとても細く弱い、小さな、小さすぎるものに見えた。何が力持ちなんですか、貴方は、こんなにも、小さく、カ細いというのに、


さん、」

「はい、?」

「俺が、衣替えを手伝いますから、」

「そんな、十四郎さん、本当にいいんですよ。私時間は沢山持て余してるんですから。ね。」

「三時間で終わらせましょう、衣替えを。」

「あ、・・」


今まで笑っていた彼女は少しだけ表情を曇らせて、それから少しだけ困った顔をして、そして少しだけ俯いた。困っているんだ、彼女は、わかってる。



「これからもずっと。何回でも、季節が変わるたび、俺が衣替えをしますから。」


だから、


「十四郎さん、あの、」

さん、俺が、貴方を、」



護りたい。確信だ。俺はこのひとを、この細く、美しい、儚い笑顔の女性を愛しているのだ。護りたい。八年間も、ひとりで、誰にも寄りかかることの無く生きた彼女を。貴方を護りたいんです。そう言って彼女の手を強く握り締められたらどんなにいいだろう。でも、俺に、それは、できない。俺が彼女を護る事はできないのだ。もし、俺が剣に生きていなければ、命をさらす生き方をしていなければ、俺は彼女の手を握っただろう。言ってはいけないのだ。
貴方を、愛している、なんて。
俺と、貴方は二度と恋をすることは許されない。 縁側の俺ときゅうこさんの距離は今も三十センチのまま。これからもずっと、それだけは変わらないだろう。と思うと、貴方が好きだ、愛してる、どんなに募ろうとその言葉を口にしてはならない、そう思うと、酷く胸が苦しかった。