カチ、 授業開始から40分。退屈はしていない。 両手で肘をつきながら目の前の教卓に視線を注ぐ。 他の授業ならみんなだってダルそうにしてたり眠ってたりするけれど、この時間にそんな態度を取る生徒はいない。 あたしも例外じゃない。 「そいでのー、此処にわしが行ったときはそりゃあ綺麗じゃったぜよー!」 ばかでかい声で楽しそうに喋る先生はまるで子供みたいだ。地理なんて大ッ嫌いだったけれど坂本先生の授業は楽しい。 先生は旅行が大好きで世界中を周っているからどんな場所の地理だって知っているんだ。 先生が見てきたこと、もの、聞いてきたこと、たくさんたくさん話してくれる。 他の先生みたいに教科書だけを辿っていくんじゃなくて、先生が撮ってきた写真やビデオがいつも黒板にあるし、 現地で買ってきた不思議な帽子に面白い本。全部が教科書。 「おんしらも大きゅうなったら行ってみるといいかもしれんのー」 先生の授業はいつもこの一言で終わる。これが先生のお決まりだ。 あのよれよれのワイシャツとつんつるてん気味(少し短め)のズボンもお決まりだ。だっさい!(ひひ! コチ、授業開始から50分。終了時刻だ。今日もあっという間だった。 キーンコーンカーンコーン 「きりーつ、きょーつけー、れー!」 * 「あ、」 「お?」 「さかもと、せんせ?」 「おーかー!」 部活で遅くなっちゃってひとりで教室に鞄を取りにきたら廊下からぺたぺたと安いサンダルの足音ともじゃもじゃの髪の毛がみえた。 あ、もしかしたら、そしたら、やっぱり、坂本先生だった。ドキ。 廊下から少し身を乗り出してこっちを見ている先生は両手にたくさんの地図やら資料やらを持っている。重そう、 「せんせー重そうだね。」 「おー、そうでもないち、ち、・・・!」 バサッバサバサバサバサーーーーーーーーーー! 廊下から身を乗り出したせいか先生の手から微妙なバランスによって保たれていた資料達は勢いよく廊下に落ちた。 あー、と、もしかして、これあたしのせいか・・?うーんダサい!ひひひ! 「わはははははは!やってしまったぜよ!」 「ぎゃはは!せんせー手伝ってあげるよ。」 「おお!悪いのー!あっはっはっはー!」 まあ、あたしのせいじゃなくても手伝うんだけどね、先生。 小走り気味に廊下の先生の所へ行って屈んで先生と一緒にたくさんの資料を一枚一枚拾っていく。 できるだけ、ゆっくり、少しでも、長く。(あちゃー。もうこれは、) 「悪いのー!」 「いいよ別に、先生もちゃんと拾ってよ!っておい!せめて拾うフリくらいしろよ!」 「拾っちゅうぜよ。あっはっはっはー!」 「あ!これ!半年前のテスト・・・!しかも採点してない・・!」 一枚の紙に手を伸ばすとそこには見覚えのある問題がかいてあった。 もう半年も前のテストじゃない!(ああ、どーしてこの人は、) 「おー!すーっかり忘れちょったがー!あっはっはー!」 「・・・せんせーさあ、よく先生になれたよね・・。」 「おお!厳しいのーは!」 「普通だよ!先生がだらしないの!」 「あっはっはー!は気が強いのぉー!陸奥にそっくりじゃ!」 ドクン、陸奥先生。陸奥先生、むつ、先生 その名前を聞いて上手く口が開かなくなってしまった。ああ、まずいなあ・・。 先生は目の前でいつもみたいに笑いながら(お!失くしたと思っちょったハガキが出てきたがよ!)とか言ってる。 なによ先生は気楽そうじゃない。私だけ黙っちゃって、ばかみたい。 なんだか少し自分が子供だなあなんて嫌になって下をうつむいていたら言うか言わないか迷っていつも喉でつかえてた言葉がポロリとこぼれてしまった。(しまった) 「・・・・・・・・・・先生さ、結婚するんでしょ?」 「おぉ!?なんで知っちゅうが!?」 「この前聞いちゃった。銀八先生と話してるトコ、ごめんね。」 「あっはっは!中々秘密にゃあできんもんじゃなあー」 先生はいつもみたいに笑ってる。知ってるんだ先生はわたしのこと、(生徒としてしか見えてないんでしょ) 「陸奥先生?」 「もうバレバレじゃのー!こりゃあ陸奥に怒られるぜよ。あっはっはっはー!」 「やーっぱりね、誰にも言わないよ。大丈夫。」 「おお頼むろー」 「それにしてもさあー、陸奥先生みたいな人がよく先生と結婚してくれたね。」 「そりゃあー苦労したぜよ!陸奥は厳しいからのー。」 「だって全然つりあわないよ。陸奥先生は美人でしっかり者で頭がよくて、」 そうだ。陸奥先生は美人でしっかり者で頭がよくてとってもいい人で、生徒からも人気があって、坂本先生と同期で・・、 あたしとは全然違う人だ。 「おんしゃあー中々辛辣じゃのー!あっはっはー!そんなとこも陸奥そっくりじゃ!」 先生は笑いながらそう言うけれど、あたしはひきつった無理やりの顔しか出来ない。 (決して、笑顔じゃあ、ない) じゃあ陸奥先生じゃなくてあたしでもいいの? ばか。坂本先生のばか。うそつき。陸奥先生とあたしとは全然違うんでしょう。 そっくりだなんて、ならあたしじゃダメなの?あたしじゃ陸奥先生の代わりにはにはなれないの? 思ってもいないこといわないでよ。 ねえ、本当に、どうしようもないじゃない。 二人で黙々と資料を拾うけど、あたしは吐き気がして上手く拾えない。拾いたくなかった。 指先とつま先が急に冷たくなってじんじんする。 そうだ。陸奥先生は美人でしっかり者で頭がよくてとってもいい人で、生徒からも人気があって、坂本先生と同期で・・、 あたしの大好きな坂本先生を持って行っちゃったひと。 最後の一枚を拾い上げて先生に渡す。先生の顔なんて見えない。 (おおー!かたじけないのお!)先生はそう言いながら立ち上がった。あたしも少し遅れて立ち上がった。 「すっかり遅くなってしもうたの。」 外はもう暗くなっていた。廊下もやけに寒かった。 「・・・・せんせ、」 先生の方を久しぶりに見る。先生の匂いがする。鼻の奥がツンとする。先生は笑ってる。(もうダメだ、もう) 「お?どうしたち?」 「・・・・せんせい、 (すき、だいすき) |