めちゃくちゃになんでも積み上げてある机の上の間からはみ出た隅の破れた紙切れを見てぼんやりする。 さっきまでずっとカーテンが閉まった薄暗い部屋で突っ伏して寝ていたから、顔が痛い。きっとむくんでる。 『お前らー再来週の火曜までに今配った進路希望のプリント全員提出しろよー。』 そんなの、わかんない。 トワイライト 「銀八ィー。」 「はあい、なに。それから先生をつけなさい。」 「将来なんて、こんな紙で決めたくないの。」 「決まんないよ。こんな紙じゃ。」 窓の外はもうすっかり暗くなっていて銀八の周りの蛍光灯だけがちかちかと光っている。他の先生はみんな帰ってしまったのか、私とこのひとのふたりだけだ。 「じゃあ、書かなくていいじゃない。」 「決まらないけどね、先生は知らなきゃいけないの。」 「なにを?」 「ちゃんがどうしたいのか。」 「どうしても、今日出さなきゃダメなの?」 「まーあと2、3日なら遅れてもいいよ。」 「・・・・・。」 「・・・・・」 銀八はよいしょ、と急に立ち上がってデスクの電気を消してから横に引っかかってるヘルメットと火のついたタバコだけ手にして歩き出した。 「どこ行くの、」 「付いといで。」 そういって入り口にある蛍光灯のスイッチをいくつか押して職員室を真っ暗にしてそのまま大きな鍵で職員玄関を閉じた。 外の風は少しだけ生ぬるくてなんとなく吐き気がする。 「ねえ、なに?どうしたの?」 銀八はどんどん足を進める。駐輪所に停めてある原付の前まで行くと足を止めて私にヘルメットを渡して笑った。 「はい、それ被ってね。」 「なんで?」 「いーから。大人の言う事は聞いときなさい。」 なんだそれ、私はちっとも納得がいかなかったけれど、どうしてだかすっぽりと少し大きめで銀八の匂いのするヘルメットを被った。 それを見てまた銀八は笑って私のあごに手を伸ばした。 「あご紐もちゃんとしめてくださーい。」 「やだ、かっこ悪い、」 「だーめ。がっぽがぽじゃねえか。」 そういってそのままキュッ、とヘルメットのあご紐をしめられる。きつい位にぴったりと閉められたそれに不快感。 「おー、かっこいーじゃない。」 銀八はヘルメットをしっかり被った私を見てまた笑った。なんて笑い方をするんだろう。目だけ細めるような、大人の男って言うのはみんなこういう笑い方をするんだろうか? 「はい。じゃー後ろ。」 先に原付に跨った銀八は私にその後ろに乗るように言う。 「・・・・」 「しっかり掴まっとけよー。」 「・・・・捕まってもしらないんだから。」 「はいはーい。いいから掴まって。」 「・・・・、」 銀八の背中は思いのほか大きくて、あったかくて、こんな生暖かい日には心地がいいとは思えない、(はず、なのに、) 鼻にはタバコとそれから、男のひとの匂いがした。 「よーしはっしーん。」 「わ、わわ、」 ブルルル、音を立てて車体が揺れる。原付になんて乗った事がないから、馴れない感覚に思わず声が出る。 「ひ、こ、こわい、やだ、これ、わ、わ、わ、ちょっと、ちょっと待って!」 「だーいじょうぶだからー。」 「わ、わ!スピード、出さないで、!」 風と周りの車の音に混じって聞きづらいし、息が止まりそう、ふ、ふ、 「ねえ、ちょっと、」 「なーにー?」 「・・・なんでもない、」 少しずつ、少しずつ、原付は安定してきて、私のこの馴れない体制も安心してくる。どうしてだろう、風に混じる銀八の匂いは心地よかった。 周りの車の通りは少しずつ少なくなってきて、ぽつり、ぽつり、とすれ違う位になった。周り家の光だとか、コンビニの明かりだとか、いつもはなんでもないものがきらきらして、なにかが、揺れた気がした。 そんな明かりも少なくなってきて、薄暗くなってきて、だんだん、風が湿ってきて、潮の匂いが混じりはじめた。うっすら暗い中見えるのは堤防。そんな景色になってしばらくしてから急にキキッとタイヤが音を鳴らして止まった。 「ぶ、!」 「はい、とーちゃっく。」 「痛い。」 「お、悪い悪い。」 「・・・・思ってないくせに。」 「思ってる思ってる。」 「嘘つき。」 「いーから、ほれ。」 「・・・ ・ ・ 海、」 銀八が手を差し出してきて、私はその手を掴みながら原付から降りる。周りは明かりが少なくて潮風が髪に重かった。 「なんでこんなトコ、」 「んー?悩んでるときは海なんじゃない?」 「・・・馬鹿にしないでよ、」 「さーあ、いいから。ほれっ。行くぞ。」 「・・・・・、」 ずっ、ずっ、潮の風を吸い込んだ砂は重くてローファーで踏むたんび音を立てる。一歩踏み出すたびに、 銀八は先に歩いていってタバコを吹かしてる。私も足を進めてしばらくしたところに腰を下ろした。 「・・・・・、」 「・・・・・・。」 目の前の暗い海は暗いのに、暗いはずなのに、空のほんの少しの光できらりきらりと光ってる。 こんな風にきちんと外を見たのって、いつぶりだろう。気が付けばいつからかきちんと向き合うことを忘れていた気がする。 必要のないもの、あるもの、正しいこと、正しくないこと、なにもわからなくなっていた。 夢、そんな風に考えて将来に憧れて、なんでも出来るような気がしてた。けれどそれはまだまだ遠い未来のことだと、そう思って流れて生きてきた。 高校に入って、急に視界が狭まって、気が付けば将来だなんて遠い未来じゃなくなってた。もう、すぐそこまで迫ってた。 周りは少しずつ動き始めて、私ひとり、そこから動けなくなっていたんだ。 「・・・ぎんぱち、」 「んー?」 「あたし、あのプリント、出せない、」 「うん。」 「なにも、ない、の、」 「うん。」 「あたし、気が付いたら、なにも、なかった、」 「うん、」 「いつも、どっか、違う方向いて生きてて、気が付いたらね、何も残ってなかった、」 「・・・うーん。俺もさあ、特になにもなかったんだよね。」 「銀八が、?」 「そー。気が付いたらもう大人で。夢抱えて大事にしすぎて気が付いたときには抱えてもう動けなくなってたわけよ。」 「・・うん、」 「それがー、俺が19のとき。」 「うん、」 「お前いまいくつだ?」 「じゅうなな。」 「あのときの俺より、2年も若いわけだ。」 「2年だけだよ、」 「ばかやろー。2年をナメんなー。2年ありゃあな、」 「・・・・」 「けっこー色んなことできんぞ。」 「・・・・・、ほ、んと・・・?」 「あったりめーよ。」 「あた、あたし、なんか、できる、?」 「できるっつーの。俺だってなんだかんだでよ、なりたいもん見つかったんだ。」 「ううう、うー、う、う、うわあああああああん!!!」 「まあ、お前もな、焦んなくていいよ。」 「うっ、うぅ、うぐ、あ、あ、ひっ、ありが、とう、せんせ・・・うっ、」 「どーいたしまして。」 そういって私の頭をなでてくれた手は大きくて、暖かくて、先生の匂いがした。 将来とか、やりたい事とか、気が付いたら抱えるものもなくて動けなかった私はもう何もないんじゃないか、なんて空っぽの自分に焦って途方にくれて、空回りして、 大人はみんなそんなこと知らないと思ってた。お母さんも、お父さんも、みんな、 ひとりで抱えていたものがすごく、軽くなった気がした。私は、これからだと信じられたよ、先生、 出口のない暗い場所でただもがいてた私に、薄明かりが差した、 私は、これからだと信じられたよ、先生。 -------------------------------------------- 素敵な素敵な企画、ロストガールさまへ! Oim!:やっこ |