しとしととしつこく降る雨は、先ほどの突入の時とちっとも変わらなかった。





あれからただただ黙って意識を遠くに置きながら迎えのパトカーに乗って屯所に帰って来た。
玄関に入ると女中さんがわっと駆け寄ってきてくれて泣きながら白いタオルを被せてくれて、めいっぱい抱きしめてくれた。なんだか私まで泣きたくなった。
それからお風呂に入るよう背中をそっと押されて、血や雨や泥や涙でぐしゃぐしゃになった隊服を脱いで温かいお湯へ足を伸ばす。
ゆらりと揺れるお湯はどんどん波紋をつくって大きくかき回された。肩までお湯に浸かっているはずなのになんだか此処に私が本当に存在しているのかわからなくなってきた。
両手をじっと見つめるけれど、まるで他人の手を見ているようだった。
他人のような髪の毛と身体を淡々と洗って脱衣所へ出た。ひんやりとした空気がたまらなく痛かった。きっと、これから何度もこういうことがあるんだろうなあと思うとまた大きく視界がぐらりと揺れた。


ひたりひたりと冷たい廊下を歩いていると局長が前からやって来た。通りすがりざまにぽん、と私の頭に手をのせて「今日は早く寝ろな。」そう一言呟いてくれた。局長はやっぱり優しかった。
「はい、」そう言ってから本当に今日は早く寝たいと思った。はやく、はやく。
部屋に入るとそこには畳の上に白い布団がきちんと敷いてあった。きっと女中さんだ。とにかく早く横になりたかった私にとってすごく有難かった。
急いで布団に潜り込み目を瞑る。やっぱり疲れていたみたいで少しずつ意識が遠くなっていった。それから、すぐに私の頭の中はまどろんだ黒に染まった。
































誰かが、私を呼んでる、





誰かが、私を呼んで、









夏のような日差しの中、溶けてしまいそうに汗を掻いている私は屯所の茶室にいた。縁側が見えている。空気は生暖かい。




ちゃん、ちゃん、」





相変わらず私を呼ぶ声は止まない。誰だろう、不思議にも声なのに声でないのだ。聞いたことのある声とか、そういうものじゃなく、音の無い声なのだ。誰だろう?そう思いながら縁側に目を向けるとそこにはジジジ、と鳴く蝉を摘んでいる坂内さんがいた。



ちゃん、」



次の瞬間、声は確実に坂内さんのものになった。ひっ、と心臓を掴まれた気がした。蝉はジジ、と身を捩じらせている。



「ば、坂内さん、」

「ほら、蝉、」


坂内さんは笑顔だ。むわっとした温かい空気が私を包む。あ、もしかして、私、ずっと嫌な夢を見ていたのかもしれない。だって坂内さんはこうして笑っている。



「そんなとこで寝てると副長にまたどやされるよ。」


あ、やっぱり、全部夢だったんだ。ほ、と胸をなで下ろした。それと同時に少し申し訳ない気持ちになった。いくら夢とはいえ坂内さんが死ぬ夢だったのだから。
でも、本当に夢でよかった、よかった。じわりと目頭が熱くなった。けれどそこをぐっと堪えた。




「本当ですよね、危なかったー。」

「副長は沸点低いからねえー」

「そうですね、ふふ。」



ジジジ、



「蝉、どうしたんです?」

「捕まえてきたんだ。」

「どうしてわざわざ?」


くしゃりと笑ってみると坂内さんもにこりと笑った。ああ、本当に、この人はいまここにいるんだ。



「蝉がねえ、うるさくて、」

「・・・え?」

「ずっと、長い間土の中にいたから七日間くらいの命だからって好き勝手鳴かれて、ねえ?」



腹が立つじゃない。といつもの優しい笑顔の坂内さんはぐしゃりと蝉を握りつぶした。


「・・・・!!」

「ああ、静かになった。」

「ば、坂内さん・・・?!」



おかしい。坂内さんはこんな人じゃない。だって、だって、坂内さんは、こんな人じゃ、あのひとは優しくって、それから、



ちゃん?」

「ひ!」


がしりと腕を掴まれた。瞬間、坂内さんはぐらりと歪んで坂内さんはどろりと溶けた。


「あ、あ、・・・・!」


最後にちらりと上を見上げると顔の半分はもう溶けているであろう坂内さんと目が合った。そして彼はにこりと微笑んだ。
おかしい。異常だ・・おかしい!そう思った瞬間周りが一気に真っ暗になった。
そして私の腕を掴む坂内さんの手は驚くほど冷たくなった。










「所詮、お前はここにいるべき人間じゃねえんだよ。」










は、と息が詰まった。そして次の瞬間聞きなれた声が大きく響いた。






「ふ、副長・・・?」





恐る恐る振り向くとそこには隊士のみんなが一列に並んでいた。みんな思い思いの顔をしている。




「結局な、お前には覚悟なんてもの、できやしねえんだ。」

「残念ですぜィ。。」

「悪いなあ、もう少し骨のある奴かと思ったんだが、」




「隊、長・・局長・・・」




「それじゃあな。」


次の瞬間何が起きたのかわからなかった。端から順に隊士みんながどんどん倒れていったのだ。
理解した時には全身の毛穴が開いた気がした。



「あ、あ、あああ!」



端から順に、刀がみんなを一突きにしている。誰のものでもない、無人の刀がどんどん私の大切な人たちを刺していく。
みんなはちっとも苦しそうになんかしないで、そのままの顔で倒れていく。その光景は酷く恐ろしかった。


どんどんどん、どんどん・・・


「やっ・・やだ・・・!やだ!みんなァ!」


「局長!隊長!・・副長ォオオオオ!」





身体が動かない。その場に縫い付けられてしまったように。今すぐにでもみんなの元へ駆け寄りたいのに、身体が動かない、
からからに乾いた口と目の先では、ついに最後の局長、隊長、副長が倒れた。誰もいない、


そして瞬間、私の足元がぬるりと揺れた。どぷん!と音を立てて私は水よりももっと苦しいものに飲み込まれた。


「!」


足に何か絡んだと思えば無数の手が私の足を掴んでいる。いやだ、怖い、怖い!

苦しい、息が出来ない、ねえ、みんな、みんなは?ねえ・・!誰か、誰か、誰か、誰か・・・!誰か!
死ぬの?私は、死ぬの?ねえ、みんな、私を、私を置いていかないで・・!
















「置いていかないで!」






















は、と気がつくと目に映るのは見慣れた和室だった。私の部屋だ。ぴしぴしと外からは雨が屋根を襲う音がした。
額には汗をびっしょりかいているし、顔は涙でぐしゃぐしゃだった。頬がかぴかぴと乾いて痛い。
夢だったんだ、夢・・・。よかった、よかった、と意識がはっきりするにつれて強く思った。酷く恐ろしい夢だった。
それと同時になんだかどんどん恐怖というには生やさしい感情が胸を渦巻いた。

もう何がなんだかわからなくなって何かに支えてほしかった。頼りたかった。寄りかかりたかった。


とにかくどうにかしたいと、そ、と襖を開けて冷たい廊下に出た。




なんでだろう、無性に副長に答えを求めたくなった。副長の部屋からは薄く明かりが漏れていた。まだ副長が起きていたことに少しだけ安心した。



「副長、」


「・・・か・・?」


「はい。」


「なんだ。こんな夜中に、」


「お邪魔してもいいですか?」


「・・・・入れ。」




短い返事の後に「失礼します」と言って襖をそろりと開ける。そこには机に向かう副長の後姿があった。



「お仕事ですか?」

「まあ、少しな。」

「お疲れ様です。」

「で、どうしたんだよ。」

「・・・・・」




副長の声に胸が詰まった。「それじゃあな」夢で見た副長の声が頭を掠める。その瞬間堪えようのないものが押し寄せてきた。





「うっ、・・・・」

「・・・どうした!?」

「わ、わたし、ひっ・・わか、わからないんです、もう・・・・」

「何がだ?」

「っこ、ここに、私って、いて、うっ・・ずっ・・いてもいいんです、か・・?」






これなのだ。私がずっと心の奥で宿していた気持ちは。ここで初めて口にして気がついた。わたしの恐怖は、これだったのだ。
坂内さんの死、それから私は隊士達への気持ちをどんな風に持てばいいのか、仲間への気持ちを、私の存在の意味を、全てがわからなくなった。







「おま、・・・」




涙で揺れる視界の中見た副長の顔はひどく歪んで見えた。





「もう、も、わからないんです、あた、し、あたし、あ、あ、ああう、う、うっうううぅうぅううぅぅぅぅぅ!!!」





もう本当になにもわからなくなった。頭の中はめちゃくちゃで、ぐちゃぐちゃだった。わけもわからず兎に角目の前のひとに頼りたかった。寄りかかるたかった。
気づけば、いつのまにか副長の胸の中にいる自分がいた。わんわん泣いて、嗚咽を漏らして。そして副長がすごく傷ついたような顔をしてギュッと抱きしめてくれていた。
今思えばどうしてこんなことになったのか、わからない。
「なにがあったんだ、おまえ、」
そう少しだけ囁いて、それからただただ黙って私を受け止めていてくれた。
「副、長、ふくちょ・・・わた、わたし、夢をみ、見たんです、そこで、坂内さんが、みんなが、あ、あ、ああ、あう、!」
副長に全部話してしまいたくて、この気持ちを全部吐き出したかったけれど思い出すと胸が痛くなった。思い出すと頭が破裂しそうだった。
そうだ、そうなのだ、坂内さんが、みんなが、副長が、あ、あ、あ、ああ、ああ


「わたしっ、うごけなく、って、あ、あ、あああ、あああうう、うあうああぁ、やだっ、みんなが、みんながぁあああああ!」

、・・!」

すでに何を言っているかわからない位に錯乱している私の名前を強く読んでくれた。

「大丈夫だ、大丈夫だ、」

そう何度も言い聞かせるように副長は強く抱きしめ続けてくれた。



「副長、副長、行かないで、置いていかないで、いやだ、やだ、あ、ああ!!」

ッ・・・ッ・・!」

「あぅっ・・!」




一瞬何が起きたのかわからなかった。ただ確実なのは私の口が何かでふさがれて、副長の酷く歪んだ顔が目の前にあったということだけだった。
けれどすぐにわかった、荒々しくも、私は副長とキスをしていたのだ。
不思議と、すごく落ち着いた、でも頭の中はぐちゃぐちゃのままだった。ぐちゃぐちゃのまま、わたしの頭の中は溶けてしまった。






「あっ、う、はっ、は・・・」

「・・・、」

「う、うう、う、」







そのままふたりで白い布団の上に重なって倒れこんだ。
それから、確かに起きたことは過ちだった。一晩中名前を呼び合ってお互いを慰めあうようにただ求め合った。
外の雨はいっそう強くなるばかりで、一向に降り止む気配を見せなかった。




薄暗い中、激しい雨が降っていて周りの音は何も聞こえない夜だった。
なにもかもがおかしくなる、そんな奇妙な夜だった。




















奇妙な夜に起きた奇妙すぎる過ち

(なにもかも忘れて、今だけは、この夜だけは、)





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続編です。脈絡が無さ過ぎる上に矛盾だらけなんですが、こういう話が書きたかったんです。
とりあえず、あともいっこ続きます。無駄に長くてすみません・・!

06.4.19