ふわりふわり飛んでいくよ、お空の彼方へ飛んでいくよ、見えなくなるまで手を振ろう。風船飛んだ、飛んだ飛んだ、お空の遠くへ。見えなくなるまで、手を振ろう。








例えば、お気に入りに風船が目が覚めたらすっかり萎んで、抜けたヘリウムのせいで地面に落ちていたのを見つけたときのような寂しさなのかな。ぽっかり、自分だけ置いていかれた感じ、かな。




「あれ、それ、風船ですか?どうしたんです?」

「ああ、これ、これね。山崎くんにあげようか。はい。」

「え、いいんですか?どうも。」

「いいの。袋入りのしか無かったから、買っちゃったけど、こんなに使わないから。」

「何かに使うんですか?」

「うん。ちょっとね。」

「おーい、山崎ィ、ちょっと、」

「あ、いけねえ、じゃ、失礼します。風船、ありがとうございました。」

「いいえー。お仕事頑張ってね。」



屯所の庭をひとりで歩いていたら山崎くんが前から歩いてきた。風船をひとつあげて、少し話をした。優しそうにはにかむ彼は本当に可愛らしいなあ、と思った。山崎くんを呼ぶ声がして、山崎くんはぺこりとひとつお辞儀をして、名前を呼ぶ声がした方へ走っていった。今日は、あったかいな。そんな風に思いながら手に持った風船の沢山入った袋を片手にまた歩き出した。屯所の庭は、日当たりがいいなあ。



「どうしたんでさァ、そんなもん抱えて。」

「あ、沖田さん。沖田さんもいります?どうぞ、」

「ああ、どうも。何かに使うんで?」

「ええ、まあ大したことじゃないんですけどね。」



沖田さんはふぅん、と言った後に続けて「あ、今日の夕飯は魚が食いてぇんでよろしく。」そう言って縁側から屯所に入っていった。屯所の古い床がぎしぎしと音を立てて、なんとなくここに来た頃を思い出した。ああ、もう、だいぶ昔、になっちゃった、なあ。それから一度足元を見てからまた前を向いて歩き出す。



「お、ちゃん。何してんの?」

「ううん。特に何も。みんなこそ何してるの?」

「いや、ちょうど休憩だからさ、もうすぐ、夏だななんて話してたわけ。」

「へえ、そうだね、最近少し暖かいもんね。」

「そうそう。今年も暑くなるぜぇー・・氷屋にも世話になんなくちゃな。」

「氷屋さんも大変ね。あ、そうだ。これ、みんな、これあげる。」

「お?なになに?」

「風船?」

「どうしたの?こんなに。」

「うん。ちょっとね、みんな貰ってよ、こんなにいらないから。」

「じゃあ貰おうかな、」

「ははっ。懐かしいなあー。」

「あ、じゃあ俺その黄色いのちょうだい。」

「どうぞどうぞ。」



何人かの隊士が集まっていて、そこはとても長閑に見えた。風船の袋を差し出すとわらわらと集まって来て嬉しそうに風船をもっていく。ごつい手に囲まれた風船はとても可愛らしく見えた。みんな嬉しそうにしていて、大きな体とは裏腹にとても小さな子供のよう。みんな子供、みたいだなあ。なんて思ったら面白くて、少し笑いながらまた歩き出す。



「あれ、ちゃんじゃないか。どうしたんだ?こんな所で。」

「局長。あ、いや、なんでも無いんですよ。ただ、ちょっと。」

「そうか、まあいいんだがな。あれ、それ風船?」

「あ、はい。どうです?局長もおひとつ。あとちょうどふたつ残ってますから。」

「お、いいの?いやあ、懐かしいなあ。」

「ふふ、それさっき他の隊士のみんなも言ってました。」

「子供の頃よく遊んだもんだ。」

「懐かしいですね。どれくらい、昔になっちゃうんだろ。」

「もう、だいぶ昔だなあ。」

「江戸に来たのも、もうだいぶ昔ですもんね。」

「そうだなあ、もう、あれから大分時間が経ったなあ。」

「怖いなあ、時間が早くて。あっというまに局長もご隠居ですよ。」

「あっはっは。そうだなあ。俺もあっという間にじいさんだ。」

「私もおばさんですけどね。」

「ははは。」

「ふふふ。」



裏庭近くで局長が屯所の中から顔を出してきた。大きな体を少し縮めるようにして。その大きな手にひとつ、青い風船を渡してあげるとやっぱり嬉しそうに笑った。このひとは、ほんとうにおおきなひとだなあ。そう思って、なんだか優しくなれた気がしてひとり笑って裏庭へ歩いた。風船は、ひとつだ。









「ふう、」


ひとつため息みたいに息を吐いて、それから風船に口をつけた。

ふう、ふう、ふう、ふう、

ひとつ息を吹き入れるたびに少しずつ膨らむ風船。どんどん、膨らんで赤が薄くなって少し透明になる。ぱんぱんに膨れたそれを手に持って、見つめてみた。




「うふふ、かわいい。」



真っ赤でまあるいそれに思わず頬が緩んだ。ぱんぱんに膨れたそれを大きな青い空に渡してみた。ヘリウムじゃないから、うまく昇っていくことは無くて、少し浮いたらまた落ちてきた。今度こそ、そう思って風船を空に渡すと、うまく風に乗ったのか、少しずつ高いところへと昇っていった。
雲ひとつない真っ青な空を背景にそれをただ一点に見つめた。何を考えるわけでもなく。ただ一点に見つめた。


ああ、飛んでいってしまうんだなあ、


そんなとき、ひとつ強い風が吹いた。空のビニール袋が飛んでいってしまい、風船も風に流されて遠くへいってしまった。



「あ・・・、!」




それを思わず追いかけた。一心に、追いかけた。行ってしまう、はやく、すごくはやく、



「あ、あ、ま、待って、」



走った。風船を追いかけて。けれど風船は止まることなくどんどん遠くへ飛んでいく。


「やだ、やだ、うそ、まって、やだ、」


思わず泣けてきた。なんでだか、泣けてきて、私は泣いた。くるしくて、泣いた。


「待って、待って、やだ、まって、」


走った。風船はもっとはやく走った。


「と、飛んでっちゃう、飛んでっちゃう、」


私は走った。草履が脱げて、白い足袋が汚れた。でも、気にならなかった。






「いや、いや、待って、まっ、て、あっ、」






転んだ。着物のあわせが邪魔でうまく走れなくて私は転んだ。草履は脱げて、足袋も、着物も汚れた。おでこもほっぺたも全部汚れた。涙が風に吹かれて冷たかった。





「あ、ああ、ああ、あう、ぅ、うう、ううう、う、」





私は泣いた。どうしようもなくて、くるしくて、泣いた。土方さん、土方さんが飛んでいってしまったように、風船も、飛んでいってしまった。私を置いて、遠くに、ずっと遠くに。追いかけられなかった。掴めなかった。もう、見えなくなった。






ふわりふわり飛んでいくよ、お空の彼方へ飛んでいくよ、見えなくなるまで手を振ろう。風船飛んだ、飛んだ飛んだ、お空の遠くへ。見えなくなるまで、手を振ろう。






見えなくて、掴めなくて、触れなくて、気が付いたら置いていかれて、ひとり残された。顔はどろどろだった。着物は汚れた、全部、汚れた。風船は、二度と帰ってきてくれなかった。




ふうせんのうた