メーデーメーデー、聞こえますか聞こえますか。


聞こえたら奇跡だよなあ







「どこ、行ってたの。」

「別に、なんでもねェよ。」




二時間前くらいにふらりと出て行った総悟がまたふらふらと帰ってきた。Tシャツ一枚に少しよれたジーンズ一枚に素足いサンダルという格好だからそう遠くへは行っていないみたいだ。
どこへ行ったのか聞いても教えてくれないから、まあいいやと思ってそのまま私はふうんとだけ言っておいた。総悟と同棲という付き合いを始めてから、こんなことは珍しくはなかったからだ。




「ご飯は?」

「あー、食う。」



わかった、そう言ってラップがしてある皿をひとつ電子レンジに入れて、冷蔵庫からほうれん草のおひたしと麦茶を取り出して机に置く。帰ってくるなりリビングの方で総悟は足を投げ出してソファに寄りかかってしまった。こっちからじゃ背中しか見えなくて、どんな顔をしているかは見えない。私はなんとなく変なの、そんな風に思ってピピピと音がなる電子レンジから皿を取り出した。
そのとき、リビングの方からドッと沸く笑い声が聞こえてきてああテレビをつけたんだなと、外との温度差により露がついているラップを皿から剥がして丸めた。



「どうぞー。」

「あー。」



総悟は気の抜けた返事をしながらぺたりぺたりと素足とフローリングのくっつく音をさせながらテレビが見える方の椅子に座った。テレビからは少し遠い声がしている。なんとなく私もそんな総悟に向き合う席に座る。
しばらくテレビをボーっと見ながら白いご飯を食べて、時おり焼いてある魚の骨を取り除く。そんな風にいつもどおり、だけど心なしかぼんやりとしている総悟が急にぽつりと声を零した。



「今日よォ、」

「うん?」

「あそこ、行ってきたんだよ、あの、空き家。」

「ああ、あの古い?なんでまたそんなとこ。」

「あそこの大家さん知り合いだから、鍵貸してもらって、中入ったんだよ。」

「・・・うん。」



私の質問には答えないでぽそぽそと喋る総悟はやっぱりいつもとは違った。目は心なしか虚ろで、灰色のビー玉のようで、テレビを見て、たまに手に持ったままの白いごはんを顔ごと俯いて見る。
だから私は私の質問を無視することは気にしないで大人しく話を聞く事にした。




「そしたらよォ、やっぱ古いんだよな、中も。でもちゃんと掃除してあったみてぇでさ、そんなに汚くはねえんだ。」

「うん。」

「そんでな、そこの、窓ひとつ開けて、それから、電話のとこ、ああ、あそこの家の中にさ、古い黒電話あんだよ。プッシュホンじゃなくて、ダイヤル式の。もちろん繋がってねえんだけど。昔っから置いてあるんだと。そこの、電話のとこ行ったんだ。」

「うん。」

「そんでな、時間見て、四時に、四時ちょうどにさ、電話のダイヤル、回したんだよ。一から、九まで、順番に。」

「うん。」

「あの、三丁目のじじぃいんだろ。」

「ああ、うん。あの、角のお家のだよね。」

「そこのじじぃがよォ、夕方の四時、ぴったしにあの空き家の黒電話のダイヤル、一から順に九まで回すと、天国に繋がるって、言うんだよ。」

「だから、な、やってみたんだよ。」








「そしたらよォ、繋がらねえんだよ。やっぱよ。」







その瞬間ぶわっと私の目に何かが押し寄せた。あったかい、水、目の内側から。






「・・・あそこの、おじいさん、ボケちゃってるって、有名だよ。」






私はなんだか胸をぎゅぅっと抓られたように息がうまくできなくなって苦しくなって搾り出したような、変な声しか出なかった。ああ、この人は、






「わかってんだよ、んなわけねえってよォ。でも、あるんだよ、行ってみたら、黒電話、なんでそこにあるんだよって、反則、だよなぁ、回しちまったんだよ、だから。」





その後、馬鹿だよなァ、俺、と小さな子供みたいな顔をして総悟は悲しそうにけれどなんてことないようにいつものようになんでもない顔でそう言った。
なんでだか私が泣いてしまって目からぼろぼろと涙が流れてきて、悔しくって。その悔しいっていうのは嫉妬とか、そういうものじゃなくて、なんでだかそれを信じた総悟がどうして裏切られたのかと、悔しかった。あなた、さんに電話したかったんでしょう、ミツバさんに、お姉さんに電話、・・わかる。わかるよ、声、聞きたくて、
小さな子供のようにひとつの嘘のような話を信じて、黒電話を回した総悟が、とても切なかった。
目の前の総悟がとても純粋な、子供のように見えて、きっとこのひとはとても傷ついているんだと、このひとは大切なひととの別れを若くに経験しすぎた、と私はもっともっと悲しくなって、けれども声は出さないように泣いた。時おり漏れてしまう「うっ、」とか「ひっ」とかいう声だけが部屋に落ちていく。涙ごしに見た総悟は淡々と普通の顔してご飯を口に運んでいて、なんだか更に私の胸を締め付けた。





鉛色アイロニー